2013年7月3日水曜日

ちょっとだけドイツへ インスリンゲンの「水の城」

スイスのバーゼルを見ていこうと、フランス側で宿を探したが適当なところが見つかりません。スイスの宿は高いので敬遠。
で、ドイツのインスリンゲンInzlingenというところに泊まりました。
あまり知られていない田舎だけあって、他よりも安く泊まることができました。


インスリンゲンの隣には、このあたりでは一番大きな町レラハLörrachがあり、ここはレラハ地域ということで、この車のナンバープレートもレラハナンバーになっています。

ついでですが、この車には”CH”のスティッカーが付いていますが、それはスイスの意味です。ナンバープレートは”D”とあるので、ドイツで登録した車ですが、持ち主はスイス人なのでしょうか。



 ホテルの外をぶらぶらしてみましたが、インスリンゲンは町とは言っても、小さなスーパーが1軒とレストラン・バーが数軒しかないようなところです。

これはタバコの自販機ですが、未成年にタバコを買わせないために年齢証明カードを認識させるカードリーダーが付いています。
これがインスリンゲンで見かけた唯一の自販機でした。







File:Inzlingen - Wasserschloss2.jpg

インスリンゲンで最も有名なお城が左のWasserchloss(水の城)です。と言うか、このお城があるところということでインスリンゲンは知られているそうです。

築城がいつなのかは不明ですが、16世紀初めには、もうこの城の記述があったそうです。

私たちが泊まったところは、実はここでした。
正確に言うとこのお城の中ではなくて、別館に泊まったのですが、結構有名なお城だということは後から知りました。



私たちが泊まった別館です。
お城から50mほど離れたところにあります。












入口です。中に入るとレセプションがありますが、通常は誰もいません。










階上のツインの部屋に入れてもらいました。
ドイツやオーストリアでのベッドのセッティングは、このように掛けふとん(毛布)を真ん中に畳んでおくという形でした。









大きくはありませんが、イスとテーブルのセットも入っていてスペース的には十分です。












これがドイツなど北ヨーロッパでよく見られるサッシです。
分厚くて、二重ガラスのすごく気密性が高いような代物ですが、このように少し斜めに開けた状態で固定することもできるので、少し空気を入れたいときなど、とても便利です。



お風呂は小さめですが、機能的でした。
朝ごはんです。
朝食は5ユーロで、スイスやフランスでは考えられないぐらい安かった。(田舎のせいでしょうか?)
内容的には、ちゃんとしたコンチネンタルです。
ハムやチーズもあります。
フルーツもミックスですけどありました。

コーヒーカップをひっくり返してみてビックリ!
ヴィレロイ&ボッホVilleroy & Bochでした。
こんな安宿(失礼!)には似つかわしくないと思い、どうしたのか訊ねてみましたら、「シェフがフライブルグで買ってきた」とのことでした。
ドイツ製と書いてありましたが、ドイツだと安いのでしょうか。
朝食堂です。
地味で田舎っぽいです。でも、このイスの座り心地はかなりのものです。
良いものを長く使うというドイツ式なのでしょう。


 この日も次の日も、夕食は隣町レラハLörrachへ出かけました。
軽く食べたいと思っても、インスリンゲンではしっかり食べるレストランしかないし、そのレストランも開くの早くても7時ということなので、待ちきれずに出かけてしまいました。

レラハでもレストランだと事情は同じようなものです。で、駐車場を出たところにあったミグロスのフードコートに入りました。



ミグロスって、スイスでずいぶん見かけたのですが、ドイツでもここだとスイスに近いからあるのでしょうか。












ドイツらしく、とビールとソーセージ、それにサラダを食べました。
ビールはやっぱり美味しかった!
それにソーセージも。でも、ポークではなくヴィールのソーセージということでした。








これはピザです。
写真を撮りませんでしたが、チキンサラダも食べました。
旅行中はレストランでしっかり食事することが多くなり疲れてきますので、こういう簡単な食事で済ませるのは時間(とお金)の節約にもなります。




店内のテーブルはガラガラでしたが、外は全部埋まっていました。
ドイツ人は戸外が好きなのです。
(2012年5月)

2013年3月29日金曜日

ロンシャン礼拝堂は巨匠ル・コルビュジエが設計

ブザンソンから北東方向へ約100km走ったあたりにロンシャンRonchampの村があります。
ここに来た目的は、世界三大建築家の一人と言われるル・コルビュジエが設計したロンシャン礼拝堂 Chapelle Notre-Dame du Haut を見ることです。

ロンシャンの村に入って少し走ると、村外れの丘の上に小さな白い建物が見えています。
着いたのがお昼過ぎだったので、開いているのか心配でした。
インターフォンがあるゲートが閉まっているので、ブザーを何度も押したのですが、返答がありません。

しばらくするうちに気づいたのですが、後から来た人たちは、別の方へ歩いて行きます。
見ると、天井が芝で被われた受け付けの建物があるではありませんか。

駐車場からも見えていたこの建物ですが、角度的に礼拝堂の方向ではありませんでした。
礼拝堂だけに目が向いていたため、周囲は全く目に入らなかったというわけです。
この建物は、景観を壊さないように、ということなのでしょう。半分地中に埋まっているように建てられていました。

礼拝堂は昼休みもなくちゃんと開いています。
入場料は一人8ユーロです。
 ゆるやかな坂を上がっていくところで、礼拝堂がだんだん姿を現してきます。
ル・コルビュジエが63歳のとき(1950年)に設計した晩年の作品です。
尖った屋根は 船の舳先を思わせる形をしています。
この礼拝堂は鉄筋コンクリート造りなのですが、何とも優しく暖かい雰囲気がある建物になっています。
「重い壁を軽く見せ、軽い屋根を重く見せる」というル・コルビュジエの建築技法の具現例と言われているのがよく分かります。

右手の壁にある小さく見える窓が祭壇の後ろの窓になります。
左手の壁にある、大小の窓は採光のためのもので、ステンドグラスがはめ込んであります。
その左のタワーとの間の薄茶色の部分に入口のがあります。
入口ドアの原色抽象画は、まるで子どもが描いたもののようにも見えましたが、ル・コルビュジエ本人によるものだそうです。
 「船の舳先」の部分を下から撮りました。
実際には船ではなく、屋根はどこかの海岸で見た「カニの甲羅をイメージした」ものだということです。

 後ろに廻ったところです。
大小3つあるタワーは明かり取りの役割を果たしています。
このタワーからの光が礼拝堂の内部を柔らかく照らして荘厳な雰囲気を作っていました。
上の写真にもある祭壇の外側の壁です。
ここにも説教壇があり、特別な祝祭日などには1200人もの人々が集まることができるようになっています。
内部に入ったところです。
右手の壁に外から見えていた四角い窓がたくさんありますが、この部分の壁の厚さはふつうではありません。3mぐらいはあるのではないでしょうか。
壁の最上部には柱が立てられて屋根との間にスリットがあるのが、そこから光が入ってきていることから分かります。
それぞれ形や大きさが違う窓から入る光は、厚い壁を通ってくることもあってか、幻想的でやさしい雰囲気を与えてくれています。

木製のベンチも、ル・コルビュジエの設計に依るものだそうです。
祭壇です。
ここはカトリック・ドミニコ会派の礼拝堂だそうですが、それにしても簡素です。
偶像が見あたりませんでしたが、後ろの壁の窓のガラスにマリア像が嵌め込まれているとのことです。

正面ファサードの手前にあったものは祭壇?でしょうか。
若い男女2人がその上で語らいあっていました。
 礼拝堂の後ろにあった大中小の鐘です。
これも後部に突き出た雨樋です。
ブタの鼻のような、面白い形をしています。
両サイドがせり上がっている屋根に落ちた雨は、屋根の真ん中に集まってここから流れ落ちていくのです。
豪雨のときに、ここから流れ落ちる雨水を見てみたいと思いました。
礼拝堂がある丘の上から、ロンシャンの村を見下ろしたところです。
秋の紅葉の頃の写真があったので、それを撮りました。
鉄筋コンクリートの塊も、ル・コルビュジエという巨匠にかかると、周囲の自然の中にこれほど溶けこんでしまうのです。
(2012年5月)




2013年3月23日土曜日

ブザンソン ヴォーバン設計の城砦がある町


ブザンソンbesançonは東側をスイス国境に接するドゥー県Doubsの首都で、蛇行するドゥー川によりリング(環)状になったところにあります。

この町は、隔年でクラシックの国際音楽祭が開催されることで有名で、その昔に指揮者コンクールで小澤征爾が優勝したことでも知られています。



町の周囲を流れる川が濠のように町を守り、首のように細い陸続きの部分にも小高い丘があって外敵の侵入を防ぎやすいことから、この町は昔から軍事的な拠点として、また政治的、宗教的にも中心的な役割を果たしてきたということです。

町の南東部に聳える城砦に行く途中にある、サン・ジャン大聖堂です。
外壁が修復工事中で、かなりの部分が養生で被われていました。

 その手前にあるノワール門です。
ここも修復中でした。




ノワール門のそのまた手前左側にある小さな公園のような場所には、入口の門だったのでしょうか、古い柱列が残っています。
ここは、昔のローマ小劇場跡だそうです。











公園の中では、子どもたちが遊んでいました。
真ん中にある石造りの遺跡に、劇場があった頃の配置図があります。








城砦の入口あたりです。
外敵の侵入を防ぐための濠があります。












もともとブザンソンへ陸から入る唯一のルートである町の南東部の丘部分(首のように細いところ)にこの城砦が作られたのですから、特に城砦が出来てから町の守りは実に堅固だったことでしょう。

ヴォーバンはルイ14世に仕えた、17世紀に活躍したフランスの技術将校です。軍人であると同時に、建築家、都市計画家でもありました。
生涯で、新たに基礎から築いた要塞が37か所、改修に携わった要塞が300か所、攻略した要塞が53か所あったそうです。
ヴォーバン式要塞は稜堡式城郭の完成形とも言えるものだそうです。それまでの要塞と比較しても独創的なものはないものの、それらを体系化したところに大きな功績があると評価されています。

また、近代的な稜堡式の要塞の築城法を体系化し、「落ちない城はない」と言われたほどの要塞攻城の名手だったと言われています。
ヴォーバンの要塞は堅固で、攻略されないため様々な工夫が施されているのが特長です。

でも、スペイン継承戦争のとき、自ら築城した要塞が攻略されてしまうということもあり、どちらかというと防御よりも攻撃が得意な人だったのかも知れません。














城壁の一部は、その内側を歩くことができるようになっています。
壁の外をのぞき込んでは「ウァー!!すごく高いね!」と感心してしまいました。











城砦は小高い丘の上にあり、上からの眺めを楽しむことができます。












川が蛇行している様子も見ることができます。




この城砦内には水族館があり、錦鯉が飼われています。












動物園には、オーストラリアから連れて来たワラビーがいました。
尻尾にシマ模様があって、タスマニアのものとは種類が違いますが、異郷で偶然知人に出くわしたような、なつかしい気持になりました。











ワラビーの赤ん坊がどういう状態でいるかを説明しているパネルです。
写真で見ると、まるで赤いアリのようで、哺乳動物には見えませんが、ちゃんとおっぱいをくわえています。こういう状態で数ヶ月間育って初めて私たちが知っているワラビーの赤ちゃんの姿になっていくのです。








城砦内にあるヴォーバンの像。
設計図を見ているところでしょうか。足元にコンパスやら定規やらがころがっています。














濠の中に猿(たぶんマントヒヒ)が何匹か飼われています。

2匹がのんびりとお互いに蚤をとってやっていましたが、猿も登れないほどの急な濠の壁だということが分かります。




帰りに小学生の団体に出くわしました。これから城砦内で校外学習するところのようです。
城砦のことだけではなく、水族館や動物園もあるので、学習できることがたくさんありそうですね。
(2012年5月)