2013年1月13日日曜日

カシスでも有名なニュイ・サン・ジョルジュと「栄光の3日間」の舞台 シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージュ

ボーヌから北へ10kmほど走ったところに、コート・ド・ニュイの中心の町ニュイ・サン・ジョルジュ Nuits-St-Geurges があります。
町の入口にサインがあったので、どこから町に入ろうかと思っているうちに、町から抜けてしまいました。
それほどの小さな町です。






コート・ド・ニュイは、あのロマネ・コンティやシャンベルタンを産することで知られたワイン地区ですが、ニュイ・サン・ジョルジュはカシスのリキュールを造っているそうなので、ちょっと立ち寄って見ました。

カシスとは、黒すぐりのことで、英語ではブラックカラントBlackcurrantとなります。少し苦味があって、それをベースにしたコーディアルやリキュールの味は、薬を飲んでいるようでちょっと苦手です。

小さな町なので、カシスのお店なんかがすぐに見つかるかと思っていたのですが、それらしいものはありません。
近くで採れた農産物を売るお店でしょうか。八百屋さんというよりアンティークショップというような雰囲気のお店です。

フランスのあちこちにあるスーパーマーケットのチェーンCasinoです。
小規模な店が多いので、買いやすいのと、品質は結構良いのでたびたび利用しました。








商店の前に止まっていた自転車は、郵便配達用のものです。
ペダルの周囲を見ると、補助動力が付いているようですから、バッグに郵便をいっぱい積んでいても楽に走れるようになっているのでしょう。






小さな広場にあった噴水。
カシスの博物館などは、町の中心ではなくて駅の反対側にあるということが分かりました。
カシスよりはぶどうのジュースが好みなので、ここはパスして次へ行くことにしました。
また今度、ロマネ・コンティを買いに来ることにしましょう。



ブルゴーニュのなだらかな丘陵に広がるぶどう畑はとても美しいです。

ぶどう畑を見るのが好きになったのは、ブルゴーニュに来たことがきっかけになったかも知れません。

時季にもよるのでしょうが、ブルゴーニュのぶどう畑では、人が働いている姿をよく目にしましたが、それだけ手入れをしているということなのでしょう。
それだけ人手をかけているということもあるから、値段が高くなるのでしょう。
いや、逆かも知れません。






ヴージュVougeot の町はずれのぶどう畑の中にシャトーが建っていました。
シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージュChâteau du Clos de Vougeotです。


このシトー会修道士の館だった建物は、現在では昔のワイン造りの道具の博物館になっています。
 また、ブルゴーニュ最大のワイン祭りである「栄光の3日間」というイベントがこの場所で行われるということでも知られています。

中に入ると、正面に大きな屋根の農家らしい建物が目に入ります。









ぶどうを搾る古い装置の展示がありました。
太いしっかりとした木材で作られています。
この装置で、どれぐらいのぶどうを搾ったのでしょうか。




ぶどう酒を熟成保存するための樽です。
形は樽というよりも桶です。それに金属製のタガがはまっています。

収穫したぶどうのカゴを肩にのせた人の石像がありました。
この像は比較的新しそうなカンジでした。
売店で求めたテイスティング用の小皿です。
錫でできているこの小皿、浅い造りによりワインの色の違いが分かりやすいことでしょう。
また、底から側面にかけてのパターン模様は単なるデザインではなくて、ワインに空気を含ませやすいようにしたものだと思われます。

長年にわたるブルゴーニュワインの歴史が、こういう実用品でさえも洗練された工芸品の域に押し上げてしまったようです。
(2012年5月)




2012年12月13日木曜日

スミュール・アン・オーソワ 岩山の上に建つ城塞都市

ディジョンの北西約80kmのところにあるスミュール・アン・オーソワSemur-en-Auxoisに近づくと、三角帽子の塔が多いせいか、ちょっと威圧感があります。
この町は岩山の上に建てられ、昔から天然の要塞と言われていたそうです。
町の中は石造りの建物が建て込んでいますが、その間に円錐形の帽子をかぶったような形の塔があちこちに建っています。

 町の出入口にあたる橋の上からの写真です。

どこの写真を撮っても、塔が写ってしまうのではないかと思えるほど、同じような形をした塔が建っています。
普通だと、こういう塔は城壁に沿って建てられ、見張り台になることが多いのですが、ここではそういうことでもなさそうです。
城壁がはっきりとしていないというか、他の町でも見たことがありますが、塔と塔の間の建物に城壁の役割を持たせているのかも知れません。

 町の中にあった家の下にトンネルがある建物。家ではなくて、何かの施設だったのかも知れません。この建物にも三角帽子をかぶった小さな塔が付いています。
この塔は、ブルゴーニュ地方でよく見られる模様が付いています。
また、木組みの壁の建物の窓には、かわいらしい装飾が施されています。
後になって分かりましたが、ここはビュフォン通りという、この町では有名な通りだそうです。

こちらはカーブしている道沿いに立てられた木組みの壁の建物です。
こういうところを見ると、木組みの壁は道のカーブに沿って曲がってはいません。つまり、構造上、木組みの壁は平面でなければならないということが分かります。
この町で有名なノートルダム参事会教会です。
町の一番高いところに建っていました。
この教会のタンパンを見ておくように、とガイドブックに書いてありました。





教会の内部です。
この町はピンク色の花崗岩でできた岩山の上に建っているということでしたが、教会の外部も内部にもそういう岩が使われている様子は感じられませんでした。









見えていた塔のひとつに近づいて見ましたが、かなり外壁が傷んでいました。
内部を見ることができるのは夏季のシーズンだけということです。


帰り際に眺めた町の風景です。
この日は月曜日でしたが、バンクホリデーということで、町の中のお店は殆ど開いていませんでした。
人通りも少なくて、重い歴史があるのだけれども何かうら寂しい町という印象でした。
でも、これが平日だったらずいぶん違っていたことでしょう。
(2012年5月)










2012年11月9日金曜日

フラヴィニー・シュル・オズラン  アニスボンボンと映画「ショコラ」のロケ地

ディジョンから北西方向に65km、車で1時間ほど走ったところに、アニスボンボンの故郷として知られる フラヴィニー・シュル・オズラン Flavigny-sur-Ozerainという村があります。

また、この村は映画「ショコラ」(2000年)のロケ地としても知られているところです。

村の中心にある小さな教会です。
内部には、ステンドグラスがあり、ごく普通の田舎の村の教会という風情です。



教会がある広場のすぐそばに、映画「ショコラ」でチョコレート店となった建物があります。
この写真の右側の建物がそうです。
中をのぞいて見ましたが、ガラーンとしていて、現在は空き家になっているようでした。
聞いてみたら、この建物は映画ではお店として登場しましたが、実際にはお店だったことはなかったそうです。

 小さな村をぶらぶらと歩きました。
村の城門のひとつです。











村の家の壁にあったピエタ像です。




 これも城門です。
さっきのものとはデザインがずいぶんことなっています。
石積みの壁の面白いかたちのお家がありました。
城門の中に建っているのですが、まるで二つ目の城壁のようです。

村は低い丘の上に建っているので、城門から外に出ると、周囲を見下ろす景色が広がっていました。


村のサン・ピエール修道院(跡)の一部にカロリング朝の地下祭室が残っています。
中に入って見ましたが、地下祭室とは言ってもそれほど深いものではなくて、「半地下」程度のところでした。
アニスボンボンをつくっている工場の建物です。
道路に近い建物の角のところに売店があります。


工場の方に入ってみましたが、人影もなくて動いている様子がありません。
ボンボンの製造過程が分かるようなパネルが置いてありました。

アニスとは、地中海地方原産のセリ科の植物で、ボンボンにはその種を使います。

種を核にして、そのまわりに少しずつ砂糖シロップをコーティングしていくこと約一週間でボンボンが出来上がります。



小さなボンボンを噛まないで辛抱強く舐めていると、最後にアニスの種を味わうことができます。
売店には、砂糖とアニスだけを使ったオリジナルのアニスボンボン以外、いろんなフレーバーのボンボンが置いてありました。
中身は同じでも、缶によっていろいろ違った絵が描かれているので、コレクションしたくなります。
売店にあったアニスの花の写真です。
このあたりでアニスの花が見られるかと訊ねてみると、昔はローマ人が持ち込んで、このあたりにもたくさんあったそうですが、今ではすべて中近東、トルコあたりから輸入しているとのことでした。

アニスの花が咲いていなくても、どんな木なのか見てみたかったのですが、残念でした。
ボンボン工場にとまっていた社用車の横っ腹にアニスボンボンの絵がありました。
村のお店で売っていたメントール入りのアニスボンボンの缶です。
お店の女主人から、ロケのときにジョニー・デップが来たときのこと、彼女の息子が映画の一部に「出演」したとことなどのお話を聞かせてもらいました。
(2012年5月)

2012年10月25日木曜日

フォントネー修道院 森の中に佇む最古のシトー会修道院

ディジョンの北西80kmほどの森の中にフォントネー修道院が建っています。
1118年に設立された、シトー会修道院としては最古のものです。

シトー会というのは、ベネディクト会から派生したものですが、既存のクリュニー会が豪華な典礼を重んじて貴族的とも評されるほどだったことに反対する立場をとりました。服装も地味で、染料すら用いない白い修道服を着て、戒律の中でも労働と学習を重んじたそうです。
付属教会の入口。
1127年から1150年の間に建設されました。

 教会の中にある聖母子像。
12世紀のものですが、隣の村の墓地で長く野ざらしになっていたものだそうで、イエスは左手で翼を広げた鳩を胸に押し抱いています。

教会の内部です。
ガラーンとしていて、何の装飾も見られない簡素な内装です。
上の聖母子像以外には、何も像がありませんでした。
教会に続く建物の2階にある修道士たちの寝室です。
戒律により個室は認められておらず、修道士たちはこの大きな部屋に床の上に藁ふとんを敷いて寝ていたそうです。











教会の奥部分(右)と修道院部分(左)を庭から見たところ。
これは鳩舎と犬小屋です。
どちらがどちらなのかよく分かりませんでした。いずれにしてもそれらしからぬ立派な建物です。
犬は狩猟用に、そして鳩は伝達用に育てられていたそうです。
どちらも内には入れません。
構内には、公開されていない建物がいくつかあります。
ちょっと立派で、中を見てみたいなぁと思ったこの建物は立ち入り禁止でした。

庭は芝がきちんと刈り込まれ、余計な装飾は一切無くて、簡素な修道院生活をうかがい知ることができます。

当時の修道院の様子を描いた絵さ。
パンを焼いています。










こちらは農作業をしているところです。
シトー会はフランス国内の森林地帯を開墾したり、新農法を普及させたりもしたそうです。


構内にあった磔刑像。
近くの小川から水を引いて、こうした噴水も作られています。
フォントネーというのは泉から由来しているそうです。

日本でシトー会の流れを汲むものとしては、函館のトラピスト修道院、トラピスチヌ修道院があります。
(2012年5月)