2012年9月28日金曜日

クリューニー  欧州最大の聖堂があった町

リヨンから北へ約90km、マコンの北西方向にクリューニーClunyがあります。
この町で910年からベネディクト会系の修道院が創建されたのですが、それはやがてヨーロッパ最大の宗教建築物になるまで発展したのでした。


 修道院の南翼部分です。
第三期工事で建てられた巨大な聖堂だったのですが、仏革命により修道院建物の殆どが破壊されたため、今ではこの部分だけが残っています。
中庭からも南翼部分が見えます。

「最盛期」のときの模型でしょうか。

この修道院の工事は3期に亘り、915年から13世紀に行われ、最終的な聖堂の規模は高さ40m、全長190mという巨大なもので、その当時のヨーロッパの宗教建築物として最大のものでした。
ベネディクト会は、イタリアでヌルシアのベネディクトゥスが創始者となり、「祈り、かつ働け」を標語とする地味な修道会でした。
しかし、時が経つにつれて、修道院が広大な領地や財産を所有するようになり、新たな修道会が派生していきました。
クリューニー修道会もそのひとつで、典礼が壮麗なことで知られていたそうです。

 南翼部分の壁です。
修道院破壊活動により、引きちぎられたように壊された壁の断面が残っています。
石の円柱に支えられた二重のアーチのその上に石片と土が載っているのが分かります。
これだけの石と土を支えることができるアーチ構造建築法を人類はいつから知っていたのでしょうか。

こちらも同じく、引きちぎられたような壁の断面です。
アーチの上に重ねられた石片は、アーチの中心に向って並べられていますが、これは経験則でそうしているのでしょうか、それとも力学上?

チーズの塔です。
この塔の上からクリューニーの町を見渡すことができます。
有料で一人2ユーロでした。
もちろんエレベーターなどはありません。110段の木製らせん階段でした。

 土曜日の午前中は、ちょうど朝市が開かれていました。
 いろんなものを売っていました。
洋服やアクセサリーも並んでいます。

 アフリカ産の木工製品のお店もありました。

これはソーセージです。
カビ(?)だらけのものとか、いろんな種類がありますが、4つで10ユーロ、9つ買うと20ユーロと、たくさん買うと割安になります。

ハチミツ店の店先にあったプロポリス製品。
日本ではもう下火になったことでしょうが、フランスでお目にかかるとは思いませんでした。


鶏肉店のウィンドウに鶏が「仲良く」並んでいました。
鶏は、絞めたらすぐに首を切って血を抜かないと肉が不味くなると聞いたことがあるのですが、この鶏たちは首も顔も全部のこっていました。
それにしても、肉食人種ならではのディスプレイです。
 暑かったので夕食時にはビールをいただきました。地元の銘柄なのかどうか分かりませんが、おいしかった。
「フランスのビールは不味い。ワインの国だから」と言う人がいますが、そんなことはありません。ビールも、その後にいただいた白ワインもどちらも結構でした。

”クリューニー風”のサラダにはレバーのクリーム和え(foie de volaille a la creme)がはいってて、とてもおいしかった。

こちらはステーキです。
フランスのカフェメニューで一番多く出るのがステーキ+フレンチフライだそうです。
フライだとカロリー過多になるので、サラダにしてもらいました。
肉は固めですが、しっかり肉の味がしておいしかった。
 クリューニーの宿で食べた朝食です。
ご主人が用意してくれました。
フランスでは、だいたい男の人が朝食を用意してくれることが多かったです。
女の人は朝起きるのを嫌がるのでしょうか。
 宿の写真です。
どれか分からないでしょうが、教会(修道院かも)の向かいの建物がそうです。
看板も小さいし、入口が分からなくて、ちょっと探しました。
町中だし、車は路上駐車だし、階段でエレベーターが無いので荷物を上げるのに一苦労です。
2部屋しかないので、静かなのが良かったです。
”Chambres Saint-Odil”
16 bis rue saint-Odil, Cluny 
+33 3 85 59 29 72
町への入口(のひとつ)です。
この小さな城門をくぐると、上の写真の道につながります。
GPSが「ここから入れ」と言ったときは、ちょっと信じられませんでした。
(2012年5月)

2012年9月21日金曜日

ブールカン・ブレス  フランボワイヤン様式のブルー修道院がある町

ブールカン・ブレスBourg-en-Bresse は、リヨンから北北西へ約80km走ったところにあります。

ブールカン・ブレスから1kmほど離れたところにブルー修道院Monastère Royal de Brouが建っています。
後期フランボワイヤン様式の修道院は、ベルギーの建築家によって設計され、1532年に完成したものだそうです。
ここには、もともと古い修道院が建っていたのですが、ハプスブルグ家出身のマルグリット・ドートリッシュが、僅か24歳で死亡した夫のサヴォア公フィリベール2世のために新しい修道院を建てることにしたそうです。

入口の壁には繊細な彫刻が施されています。


身廊の写真です。
漆喰そのままのようなモノトーンで、非常に簡素な印象を受けます。
 真ん中にあるのが、フィルベール2世のお墓です。
 墓の上の像は、お墓を見守る10体のシビラsibylla(キリストの到来を告げたと言われる異教の預言者)だそうです。


 その右にあるのが、フィルベール2世の母親マルグリット・ド・ブルボンのお墓です。
この墓は壁龕(へきがん)墓となっているのが特徴だそうです。
壁龕は英語ではnicheニッチとなり、いわゆる壁のくぼみのことですが、これだけ大きなものでも「くぼみ」で良かったのでしょうか。

こちらは、フィルベール2世のお墓をはさんで、マルグリット・ド・ブルボンのお墓の反対側にある マルグリット・ドートリッシュのお墓です。彫像を配した大きな天蓋を持つこのお墓は、まるで王族の葬式で用いられる壮麗な遺体用の寝台を思い起こさせる豪華なものだと言われています。
この修道院に回廊は3つあります。
外界との境界線にあたり、滞在者の入口となる第一回廊と修道士が散歩するための第二回廊、それに一般人向けの第三回廊です。
第一と第二は同じような造りですが、第三回廊については、やはり俗っぽい雰囲気でした。
(2012年5月)


2012年9月16日日曜日

ワン  ボージョレーのぶどう畑に囲まれた村

リヨンの北方向、40kmほどのところにワンOingt があります。

14世紀はこの村に城が建てられたそうですが、現在残っているのは、この写真の城門<ニズィの門>Porte de Nizy だけとなっています。
 ちょっとした丘の上にある村ですが、その細いメインストリートも少し坂になっています。

建物の石が黄土色というよりも黄金色に近い色をしています。
軟らかそうな砂岩のような石ですが、この辺りで採れるのはこういう色なのでしょう。

メインストリートに売店と食堂を兼ねたようなところが2-3軒ありますが、ほかには店らしいところはありません。
 細い道があるので、入ってみたら路地裏という雰囲気のところでした。
 道をずーっと上がっていったところに教会があります。
この辺りに城が建っていたようで、この教会は元は城の礼拝堂だったそうです。
この近くに城門の一部が残っていますが、厚さ1.7mもあるものだそうです。
 教会の中にあるステンドグラスです。
比較的新しいもののようで、光が入ってきて、とてもきれいでした。
内部の壁には、レンガのような赤っぽい色をした石が使われています。
外側の黄金色の石とは違う種類のものなのでしょうか。
教会の横からの眺めです。
牧草地もありますが、ぶどう畑もかなり広がっています。
 駐車場にとまっている私たちの車です。
後ろを、ぶどう畑用(?)の作業車が通っていきました。

村の入口近くにあったワイナリーというかカーヴです。
ボージョレーと言うと、日本では「ボージョレー・ヌーヴォー」でよく知られるようになりました。
ここはブルゴーニュの南端にあたりますが、栽培されているぶどうはピノ・ノワールではなくて、ガメイGamay種です。
ボージョレーと名乗るためにはガメイ種のぶどうではなければならないのだそうです。
ガメイは若飲み用にはまずまずですが、熟成させるのならピノ・ノワールには敵いません。
この村でお昼をいただきました。
オムレツ(上)とクロックムッシュ(下)です。
どちらも、新鮮なサラダとチップスが付いてきました。
田舎で食べる野菜はおいしいです。
また、ロゼワインは軽くて、そして安くてよかったです。

ワンOingtの読み方ですが、Google翻訳で発音させてみると「ウァ」と聞こえました。
どっちにしてもむずかしい読み方です。
(2012年5月)

2012年9月9日日曜日

ペルージュ 織物で栄えた中世の小さな村

 ペルージュPérougesは、リヨンの北およそ30kmのところにある、フランスの美しい村のひとつです。
13世紀ごろ、最初にこの地に住みついたのは、イタリアのペルージュ(中田英寿の最初のクラブがある町)から移って来た絹織物の技術者たちと農夫で、それが村の名前になったのだと言われています。

村の入口にあたる門ですが、ずいぶん厚みがあります。







村にある教会です。
プクっとふくらんだ胡椒挽きのようなの形の鐘楼に特徴があります。
「城塞教会」と書いてありますが、本当の名前はマグダラの聖マリア教会Église Sainte-Marie-Madeleineと言います。
村の入口に建てられて、建物が文字通り城塞の役目を果たしています。


窓は小さく明かりは殆ど入ってきませんので、内部は暗いです。
簡素だけど、「要塞教会」ですからしっかりとした造りです。



 村に入ると、すぐのところにペルージュ名物のガレットを売っている店があります。
店といっても、ガレットを作る部屋と、その窓枠に品物を置いてあるだけの簡単な造りです。
前を歩いていた団体が立ち寄ったので、私たちもひと切れ買って食べました。
 一切れ1.20ユーロのガレットは、100%小麦粉のようで色は白っぽいです。

小麦を練って伸ばして、薄っぺらいピザのように焼いて砂糖をかけてあるという素朴なお菓子です。






 ほんとに小さな村で、こういう石造りの家並みを見ながら歩いていると、いつのまにか元のところに戻って来てしまいました。


このように中世の雰囲気が色濃く残っていることから、この村では何本もの映画撮影がされたそうです。











前を歩く団体の声だけが聞こえています。
あのガレット屋さん以外は人の気配がありません。











村の広場につながるトンネルのような通路です。








広場にある一番立派な木組みの建物は宿泊施設のようでした。

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その建物の梁が突き出して2階の床を支えていますが、木材も何百年か経つとかなり来てます。
 広場にある、カフェのような建物のイスに、旅行者のような男性が座っていました。





広場にあるレストランです。














村の奥のほうに、もう一軒ガレット屋さんがありました。
こちらのガレットは、最初に食べたものと比べると肉厚でしっとりとした感触でおいしいです。
値段も一切れが1ユーロと、少しお安くなっています。
こんな田舎の村でも、やっぱり食べものやさんは場所ですね。
 広場にあるお店。
アンティークショップのような品揃えでした。

で、そのお店の窓なのですが、ガラス戸の外側にあるので、雨戸ということになるのでしょうが、それが上下に開くようになっています。
上は庇の代わりになり、下はテーブルに早変わり。
旅行者にとっては、ちょっと手荷物を置いたりすることができるので、便利でしたが、 何かモノを干したりするのに使っていたのでしょうか。
 同じく広場の建物の壁にあった(と思うのですが・・・)木製の彫像です。馬に乗っていますが、聖人の一人なのでしょうか。それとも軍人? たぶんセント・ジョージなのでしょう。

 この建物の煙突は、なかなか凝った造りになっています。テラコッタでしょうが、筋交いのようなパターンが入っていてます。
昔の人はこういうところで粋を競ったのかも知れません。
(2012年5月)