ちょっと長いですが一部を転載します。
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・・・ある日、フランス領アルザス地方に住む学校嫌いのフランツ少年は、その日も村の小さな学校に遅刻する。彼はてっきり担任のアメル先生に叱られると思っていたが、意外なことに、先生は怒らず着席を穏やかに促した。気がつくと、今日は教室の後ろに元村長はじめ村の老人たちが正装して集まっている。教室の皆に向かい、先生は話しはじめる。
「私がここで、フランス語の授業をするのは、これが最後です。普仏戦争でフランスが負けたため、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが、私のフランス語の、最後の授業です」
「私がここで、フランス語の授業をするのは、これが最後です。普仏戦争でフランスが負けたため、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが、私のフランス語の、最後の授業です」
先生は「フランス語は世界でいちばん美しく、一番明晰な言葉です。そして、ある民族が奴隸となっても、その国語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」と語り、生徒も大人たちも、最後の授業に耳を傾ける。やがて終業を告げる教会の鐘の音が鳴った。それを聞いた先生は蒼白になり、黒板に「フランス万歳!」と大きく書いて「最後の授業」を終えた。
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たしか、小学校の教科で習ったのではなかったでしょうか。この話にはとても強い印象を受け、映画で見たかのように、その情景が自分の頭に残っていたのでした。
で、今回アルザスのどの地がこの小説の舞台なのだろうか、と調べてみたところ、それは意外でした。普仏戦争当時、というよりずーっと以前のローマ帝国時代以降から、アルザス地方はドイツ語圏だったということです。確かに、アルザスのワイン街道沿いの村の名前はドイツっぽい名前ばかりだし、フランスなのにドイツ語(正しくはドイツ語系のアレマン・ドイツ語とのこと)が話されているようです。
「最後の授業」のアメル先生はフランス語を教えていたのですが、実はそれは「国語」ではなく、「外国語」としての授業でした。アルザス地方は普仏戦争より130年ほど前にフランス帝国が獲得したためフランス語が公用語になりましたが、この地の人々はそれ以前から長く話していたドイツ語系の言葉を普段使っていたのでしょう。
つまり、アルザスの生徒達は(ドイツ語の一方言であるアルザス語が母語であるため、)国語であるフランス語を話すことも書くこともできず、わざわざそれを学校で習わなければならない状態だったのです。
アメル先生は、アルザス語を母語とするアルザス人に対し、フランス語を「自分たちのことば」ないし「国語」として押しつける立場の人だったということです。
「え、そうだったの?」 かなり心に残っていたこの話ですが、40年以上も後に、実はまったく逆の話だと分かったのでした。.
この年になっても自分の無知に呆れることがしばしばですが、この「最後の授業」の思い違いは、まちがいなくここ数年のハイライトです。
〔2012年6月)