2013年12月22日日曜日

ナンシーの宿は郊外のコテージ・ホテル

 ナンシーではCottage Hotelに泊まりました。
ちょっと郊外にある、レストランが併設された中級ホテルです。

レセプション付近は、広くはないけど濃い目の木材を使い、なかなか重厚なつくりになっています。

レストランの入口です。

ロビーの一角。
新聞と旅行者へのインフォメーションが置いてあります。

部屋の内装も、濃い茶色の木を使っていました。

ソファーとデスクもあり、結構スペースは広いです。

キッチネット付きの部屋で、レンジは戸棚の中に入っていました。

レンジも2口あるので、ちゃんとした料理もできるでしょう。

トイレはガラス戸で独立(?)しています。
 洗面。
ドライヤーは据付タイプのものです。
この部屋はシャワーのみでした。

夕食の時間まで少しあるので、ラウンジで一杯やることに。
フランスはワインが有名ですが、ビールも結構いけます。
この日のビールは”1664”というよくある銘柄。暑い日の夕方にグイっと飲むビールは格別です。
左はアルザスのクレマンです。

ホテルレストランでの夕食はダック。付け合せはカリフラワーのクリーム煮です。
(ポテトだったかも)
鉄鍋でのサービスは、ちょっと日本のファミレス風です。











もうひとつは、USAアンガス牛のステーキ 温野菜添え。どうして米国牛なのか、不思議でした。
これにピノ・ノワールのハーフボトルをいただきました。









 朝食も同じレストランです。


 フルーツと冷製のおかず類。


コーヒーはマシンで各自作るようになってます。
シリアルやヨーグルト類もいろいろとあって充実しています。


フランスのパンはやっぱりおいしいです。
ジャムも種類がたくさんあって、どれも食べてみたいと思うと、パンをたくさん食べなければいけません。
このホテルの朝食は、これだけあって9.50ユーロです。






右端はフレッシュ・オレンジジュースを作るマシンです。自分で半分に切って絞ります。

左はゆで卵用のマシンです。お湯が入っている鍋の中に浸かっている小さな網しゃくしに、生卵を入れて茹でるようになっています。
自分の好みの硬さのゆで卵を作るために砂時計も置いてあります。
家でゆで卵を作るとき、沸騰させてると卵が踊って鍋に当たり割れてしましまったりしますが、こういう網しゃくしに入れてゆでればそういうことも無さそうです。
このホテルを出たすぐのところに路面電車の駅があり、20分ほどでナンシーの中心まで行くことができます。片道たったの1.30ユーロだし、たいへん便利でした。
〔2012年6月)

2013年12月9日月曜日

アルザスの小さな村エイコフェンのセラミック店と 聖オディールの町オベルネ



ミッテルベルカイムでの晩ごはんです。
サラミとちょうど旬のアスパラ、それにチェリートマトとクラッカーでリースリングをいただいて、仕上げは持参のかに雑炊としらす雑炊にしました。
クラッカーもあったし、ぼんち揚げせんべいもあったので、結構おなかがいっぱいになりました。
緑の袋は当地のスーパーで買ったプリッツェルです。





袋をよく見るとBRITZELと書いてあります。
「ぶ」とにごるのでしょうか? 日本ではプレッツェルだと思うのですが・・・。
辞典で調べると、ドイツ語で「ブレーツェル」と言うが正しいのだそうです。
北京(ペキン)のことを英語ではBeijing と書いたりしているので、そういうことがあるのかも。









で、この写真のブレーツェルですが、実はセラミックでできています。
ミッテルベルカイムの宿に、それを売っている店のパンフレットが置いてありましたので、行って見ました。
場所はエイコフェンEichhoffenという小さな村で、ミッテルベルカイムのすぐ南1kmほどのところにあります。




小さなお店の中でセラミックで作った自家製クリスマスの飾り用のクマやりんご、それにツリーの形をしたものなど、いっぱい種類がありました。
かわいらしいし、1個3-4ユーロと手軽な値段でした。
左はお店とそのオーナーです。


 次はオベルネObernai です。
この町はストラスブールの南西、約30kmのところにある、人口11,000人ほどの町です。
町の中心マルシェ広場は石でできていますが、ピチっとフラットで手作り感があまりありません。周囲の建物とは違い、近代的ですっきりとした感じです。








広場の一角にある黄色い建物は市庁舎で、その左手前に立っている像はマリア像かと思ったら、「聖オディール」像だということです。
聖オディールはアルザスの守護聖人で、この地で生まれました。生まれつきの盲目だったオディールでしたが、ブルゴーニュの修道院で育てられて洗礼を受けたところ、奇跡が起こり視力を取り戻したということが伝わっています



サンピエール・エ・サンポール教会は、1872年に完成したネオゴシックの建物で、アルザス地方ではストラスブールの大聖堂に次ぐ規模のものです。
ストラスブールのものと同じように、赤色の砂岩で造られています。
内部のステンドグラスは、色がはっきりしていてたいへんきれいなものでした。




 オベルネの町中の建物です。
緑色のよろい戸がアクセントになっています。

こちらは、マルシェ広場の一角にある建物。
これが広場の名前になったマルシェの建物ではないかと思います。

店に並ぶ、お菓子の数々。

 ジンジャーブレッドでしょうか?
おみやげに買って帰りたかったけど、途中で割れてしまいそうなので諦めました。












おいしそうなケーキもたくさん並んでいます。
お菓子店はこの町にも多いです。







雨降りだったし、ちょっと休憩も兼ねて
広場に面したケーキ屋さんに入りました。












右はイチゴのクリームケーキ。












こっちはパッションフルーツのムース。







カヌレがあったので、これもひとついただきました。
ここのもモッチリとしておいしかったです。

 オベルネの町でみかけた木組みの家です。
かなり老朽化が進んでいます。
やはり定期的に手入れをしないと、このように傷んでくるのでしょうね。

でも、あちこちに彫り物があって、新築当時は結構なお屋敷だったのかも知れません。
こういう家からこの町の歴史の長さと、この地方の気候の厳しさを感じ取れるような気がします。
〔2012年6月)





2013年12月3日火曜日

アルザス地方はドーデ作「最後の授業」の舞台

「最後の授業」はドーデによる短編集「月曜物語」の中にある一編です。
ちょっと長いですが一部を転載します。
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・・・ある日、フランス領アルザス地方に住む学校嫌いのフランツ少年は、その日も村の小さな学校に遅刻する。彼はてっきり担任のアメル先生に叱られると思っていたが、意外なことに、先生は怒らず着席を穏やかに促した。気がつくと、今日は教室の後ろに元村長はじめ村の老人たちが正装して集まっている。教室の皆に向かい、先生は話しはじめる。

「私がここで、フランス語の授業をするのは、これが最後です。普仏戦争でフランスが負けたため、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが、私のフランス語の、最後の授業です」
先生は「フランス語は世界でいちばん美しく、一番明晰な言葉です。そして、ある民族が奴隸となっても、その国語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」と語り、生徒も大人たちも、最後の授業に耳を傾ける。やがて終業を告げる教会の鐘の音が鳴った。それを聞いた先生は蒼白になり、黒板に「フランス万歳!」と大きく書いて「最後の授業」を終えた。
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たしか、小学校の教科で習ったのではなかったでしょうか。この話にはとても強い印象を受け、映画で見たかのように、その情景が自分の頭に残っていたのでした。

で、今回アルザスのどの地がこの小説の舞台なのだろうか、と調べてみたところ、それは意外でした。普仏戦争当時、というよりずーっと以前のローマ帝国時代以降から、アルザス地方はドイツ語圏だったということです。確かに、アルザスのワイン街道沿いの村の名前はドイツっぽい名前ばかりだし、フランスなのにドイツ語(正しくはドイツ語系のアレマン・ドイツ語とのこと)が話されているようです。



 「最後の授業」のアメル先生はフランス語を教えていたのですが、実はそれは「国語」ではなく、「外国語」としての授業でした。アルザス地方は普仏戦争より130年ほど前にフランス帝国が獲得したためフランス語が公用語になりましたが、この地の人々はそれ以前から長く話していたドイツ語系の言葉を普段使っていたのでしょう。





つまり、アルザスの生徒達は(ドイツ語の一方言であるアルザス語が母語であるため、)国語であるフランス語を話すことも書くこともできず、わざわざそれを学校で習わなければならない状態だったのです。
アメル先生は、アルザス語を母語とするアルザス人に対し、フランス語を「自分たちのことば」ないし「国語」として押しつける立場の人だったということです。


 「え、そうだったの?」 かなり心に残っていたこの話ですが、40年以上も後に、実はまったく逆の話だと分かったのでした。.
この年になっても自分の無知に呆れることがしばしばですが、この「最後の授業」の思い違いは、まちがいなくここ数年のハイライトです。
〔2012年6月)











2013年12月1日日曜日

ストラスブール 大聖堂がどこからでも見える町


本日はミッテルベルカイムからストラスブールStrasbourgへ出かけました。
ストラスブールは人口30万人規模の大きな町です。
こういう大きな都市へ行くときは、車を郊外の電車ターミナルの駐車場へ止めて、そこから電車で市心へ行くようにしています。

宿で教えてもらったとおり、ストラスブールの駅の後ろ(北西)にある。Rotondeというところまで車で行きました。


ヨーロッパの地下駐車場はだいたい古くて狭いので、今回のような大き目の車〔ボルボ)だと本当に出入に苦労します。
 でも、ここは地上に建てられた立体駐車場なので、人気があまりなかったけど通路も広いし明るくて安心です。

ターミナルなので、ここが始発になります。



 ストラスブールの中心近くまで行くと、ノートルダム大聖堂が姿を現します。
赤い砂岩でできたこの大聖堂は、1176年から1439年までかかって造られたそうです。
高さは142mもあり、建築された当時では世界一の高さだったとか。
おかげで、この町のどこからでも見えると言っても過言ではありません。

 高いのと、この大聖堂正面の広場があまり広くないので、その全貌が一枚の写真にうまく収まりません。
だいたいどの写真(絵はがきも)を見ても、端に建物が写っているのはそのためです。

見た感じはゴシックですが、最初はロマネスク様式で 建て始められたのだそうです。

入口のタンパンの彫刻はすごく細かいものです。










 この大聖堂の中にある天文時計です。
一日一回、12時半からからくり人形が出てくるとガイドブックに書いてあって、見たかったのですが、うまく時間が合いませんでした。
現在の時計は1843年に完成したものだそうです。
内部のムーブメントでしょうか。
精巧なのはもちろんですが、歯車などがそれぞれとても美しくて、これ自体が美術品のようです。
大聖堂内の床の模様がとてもきれいなので、思わず写真を撮りました。

 大聖堂の広場の西側に立つ、すごく目立つ建物はカメルツェルの家La Maison Kammerzellです。
もともとは、16世紀後半にチーズ屋さんが建てたものだそうですが、19世紀半ばにフィリップ・カメルツェルという商人が買い取りとりました。
現在この建物は、3つ星ホテルとレストランになっています。
外から見ると、窓にたくさん模様が入っているので、内部が暗いのではないかと思いますが、サイトで見てみると照明もあるし、とても良さそうな雰囲気です。

(右の写真はサイトからもらいました)

 町のあちこちに木組みの家があります。
この家の前には、大きなワイン樽がありました。
 ここにも木組みの家が。
ストラスブールにある、プティ・フランスと呼ばれる川沿いの一帯です。
ストラスブールを流れるイル川が、この一帯では4本に分かれて流れているという、いわゆる運河地帯ということです。
このあたり、昔は皮なめし職人の居住区だったそうですが、その行程で水をたくさん使う必要があったのでしょうね。

プチ・フランス地区には、たくさんの木組みの建物が残っています。

白鳥が一羽いました。
一羽だけで、ちょっと寂しそうに見えました。

アルザス博物館へも言って見ましたが、この日は火曜日で閉館していました。
入口上にある、かわいらしい看板です。
 外から見えるウィンドウにあった、陶器でできたカゴ(?)は素朴な味わいがありました。











入口ドアの両側の「雨戸」は上下に開くのですが、下の扉は途中で折れてテーブルのようになり、ちょっとモノが置けるようになっています。
こういう「雨戸」は、アルザス地方のあちこちで見られました。



アルザス博物館の上階の壁です。
木組みの壁のパターンが鳥のようできれいです。
 本日のお昼ごはんです。
サラダを頼んだら、一人分とは思えないほどの量が来ました。










こっちはおなじみのハムと卵のガレットです。



 店内の座り心地がよさそうなイス。
軽いランチの後に、別の店で食べたデザートは黄色いムースとエクレアです。











階上のテーブルから下のお菓子売り場を見下ろしたところ。



 食べたムースも並んでいます。
ストラスブールには菓子店がたくさんあるとガイドブックに書いてあります。パリで活躍しているパティシエはこの地の出身者が多いとも。
このRISSというお店は、ウロウロ歩いていて見つけたお店ですが、いくつかのブログで紹介されていました。
11月22日通りにあるので、簡単に見つけられることができます。
〔2012年6月)